ホーム > 遊ぶ・見る > 伝統・歴史・文化・伝承

遊ぶ・見る

伝統・歴史・文化・伝承

鮭の新切り

毎年の冬の風物詩であるサーモンロードの風景があります。鮭を寒風にさらして作る保存食「鮭の新切り(ようのじんぎり)」作りが始まり、民家の軒下につるされます。 サケの内臓を取り除き、10日間以上塩漬けにします。塩抜きした後、腹を開くように竹を挟んで軒下につるします。昼夜の寒暖差と寒風にさらすことでじっくりと熟成し、うま味が増すという昔ながらの方法で作ります。50日前後で出来上がる。鮭の新切りは鍋物にいれたり、焼いては酒のつまみにも最適。昔懐かしい家庭の味です。

鮭川歌舞伎

鮭川歌舞伎は、昭和46年、石名坂・京塚・上大渕・川口の四地区の地芝居が合併して鮭川歌舞伎の名称で復活したものです。 起源は古く安永二年頃、江戸歌舞伎役者により伝承されたものが引き継がれてきました。今まで、後継者難や衣装破損によって上演不能になったこともありましたが、昭和47年、東京の歌舞伎役者市川千升家本座長より、衣装・小道具多数を寄贈して頂き、さらに演技の指導等の支援を受け、同年保存会が結成されました。 昭和49年に鮭川村文化財指定第一号として保存されています。

牛潜大天馬様

上牛潜の田圃の中にあり、開創についてはこの村の開発者である佐々木興右衛門が田圃の中から長さ二尺余の大石を掘り出し、大天馬と名づけて祀ったという。あるとき、鮭延城主が疝気を病まれた時、夢のお告げに「城の北方に大天馬があるから、それを拝めば癒る」と知らされ、探したところこの大天馬を発見し、祈願したら直ぐに癒ったという伝説がある。大天馬は「ビッキ神」ともいわれ、春ともなればこの境内にガマの大群が集まってきた。疝気、腰痛に霊験があると信じられ、八月十九日の祭礼には参詣人が近郷近在から集まりにぎわった。名物の湯薬(センブリ)が売られ、この日は一粒でも必ず雨が降るといわれている。もと「曲り度」(牛潜小学校のところ)にあったが、のち現在地に移されたと伝えられている。 (鮭川村教育委員会「鮭川村史跡名勝五十景 ふるさと歴史探訪」より)

京塚愛宕神社

 京塚村の南方、京塚楯の東部地続きの山腹にある愛宕神社は、もと村の西方街新田にあった七所明神を、元禄六年に移転し、明治六年に荒沢の愛宕地蔵と合祀して郷社としたものである。  今の社殿は今の社殿は大正八年に改築したものである。本尊は木造神像で、元禄六年(一六九三)の年紀があるが、これは七所明神の御神体であろう。東方の峯には山神社があり、御神体の大木棒は、最近まで四月三日(旧三月三日)には子どもたちが「山の神の勧進」の奇祭を行ったものである。南部山稜に稲荷の小社、境内から少し上ったところに弁財天、湯殿山の大石碑、また境内南端に今では貴重となった土舞台があり、旧七月十七日の祭礼には、村芝居(村無形文化財鮭川歌舞伎)が上演され賑わいをみせた。  老杉に囲まれた荘厳な神域で、参道の鳥居の下方に別当教学院がある。 (鮭川村教育委員会「鮭川村史跡名勝五十景 ふるさと歴史探訪」より)

庭月観音

室町時代の天文四年(1535)、真室川東岸に鮭延城(真室城)を築いた佐々木貞綱は天文一五年(1546)、鮭川のほとりにお堂を建て、先祖より伝わる慈覚大師作の聖観音像を祀りました。これが庭月観音、正式には天台宗庭月山月蔵院の始まりです。 鮭川の清流を臨み建つ庭月観音は、最上三十三観音三三番札所“打ち止めの霊場”として、多くの巡礼者が参詣に訪れています。 また、観音堂の傍らには伝説の“光姫”の塚が、ひっそりと祀られています。

山形県の天気

△このページのトップへ